よく晴れ渡った青空の下を、一人の青年が走っていた。霊術院の制服を軽く着崩して嬉しそうなその姿は、学院の友人には見せられないだろう。そう自覚して、檜佐木修兵は苦笑した。しかし口元が歪むのを押さえきれない。
流魂街の、久しぶりに訪れる店の前で落ち着くように深く息を吐いて、修兵はその店の前に中に足を踏み込んだ。薄暗い店内の奥で、女性が本を開いている。



「先パイ?」

「あれ、修じゃん」



遠慮がちに窺うように声をかけると、女性、が本から顔を上げて意外そうに眉を上げた。
霊術院の一期上の先輩の家を訪れるのは、此れが三回目だった。1年ぶりにあったというのに慣れたように修兵は店の椅子を引き寄せての前に腰を下ろした。自分と彼女の間のカウンターに肘を付けて、懐から一枚の紙を取り出して彼女の顔の前に翳した。



「受かりましたよ、入隊試験」



自慢気に護廷十三隊入隊試験合格通知を翳したかつての後輩にはきょとんと其の紙を見つめた。其れが何なのか分らなくて思わずじっと見つめていると、苦笑を浮かべた修兵が覗き込んできた。切れ長の其の目と視線が合って、は彼から目を逸らす。それから漸く其の紙の意味に思い当たった。



「あー…おめでと」

「……ホントにそう思ってます?」



呆れたように半眼で見やると、は誤魔化すように笑って顔を逸らした。すぐに興味を失ったのか、手は先ほどまで読んでいた本を開いている。カウンター越しに其の本を覗き込むと、年頃の女の子が読むような雑誌ではなく、色とりどりの刺青が載っている本だった。雑誌を捲っているを見ながら修兵は合格通知を仕舞い、カウンターに頬杖を突く。



「先パイも入隊すればよかったのに」

「んー」

「俺よりも成績良かったし楽勝だったんじゃないっスか?」

「んー」

「……俺の話聴いてます?」

「んー」



会話をしようとするにも彼女は真剣に雑誌を読んでいて生返事ばっかりで、修兵は小さく溜息をついた。彼女は昔からそうだったと思い出し、修兵は過去を思い出すように眼を伏せた。昔、彼女がまだ霊術院の学生だったときも人の話を聞いていなくて、いつだって自分はイライラしていた。



『別れよう』



そう言った彼女の声が昨日の事のように思い出される。行き成り告げられた別れ。そう言われてすぐ、彼女は学院をやめた。初めは自分を避けての事だと思ったが、彼女の父親が倒れて店を告ぐ為だったそうだ。其れを知ってから、修兵は暇なときはの元を訪れるようになった。恋人としてではなく、仲の良い後輩として。



「修、ちょっと修兵?」



名を呼ばれて、修兵ははっと顔を上げた。のいぶかしんだような瞳と眼が合い、ばつが悪くなってズルズルと顎をカウンターに乗せる。未練があるのは自分だけのようで格好悪い。
修兵の内心など全く察しないで、は彼の頬に触れた。細く白い、自分とは全く違う女の指に修兵の胸がドキンと高鳴る。は柔らかく微笑んで慈しむように眼を細めた。



「この刺青も下手だねー」

「先パイが入れたんじゃないっスか」

「まぁね」



半眼で視線を上げて言うとはあははと笑って、それでも慈しむように彼の顔の刺青を撫でた。
付き合い始めた頃、彼女の練習台として顔に刺青を入れてもらったのだ。あの頃はとても嬉しかった刺青だが、別れてからは心を締め付ける物以外の何物でもない。自分の頬を撫でる彼女の腕が視界に入り、修兵は意外そうに目を見開いた。



「先パイの腕、刺青だらけじゃないっスか」

「だらけって何。失礼な」

「そんなん入れてましたっけ?」



見せびらかすように豪快に服の袖をまくった。腕一面に入れられた龍の刺青に修兵は目を見張る。彼女はこんな腕をしていただろうか?するとはニマニマ笑って捲くった腕を元に戻した。



「もっとすごいの見せたげよっか」



笑って、修兵が頷く前に徐に帯を解き始めた。慌てて修兵が後ろを向くが其の前には彼に背を向けて着物を脱いだ。見てはいけないような気がして顔を逸らしているがやはり男の性なのかちらりと視線を彼女の背中に向けた。同時に絶句する。



「すごいでしょー」



自慢気に笑うの声に曖昧に頷いて、修兵は彼女の背を見つめた。大きな龍が空に昇っていく絵が彫られた背中は自分のものよりもとても小さく細く、この小さな体で店を切り盛りしているのだと思うと辛くて、無意識に修兵はを抱きしめた。



「ちょ、修!?」

「……好きだった」



裸に近いの体に腕を回して耳元でそう呟く。きっとこのまま腕を動かすと触れた事のない柔らかな膨らみに触れる事が出来るし、そのまま彼女を抱く事だって出来る。自分は男で彼女は女なのだから。其の体勢で固まって、やや置いてが呟いた。



「私も、好きだったよ」



ほんの少し掠れたようなの言葉に修兵は言葉を失ってを抱く腕から力が抜けた。其の隙には彼から離れると手早く着物を着てしまう。
何で好きだったなら、別れたりなんかしたのか分らない。其の感情が無意識に顔に手でいたのか、は気まずそうに顔を歪ませてからふっと微笑んだ。彼の頬の刺青に指を這わせて、手触りに笑む。



「刺青、入れてあげよっか」

「………。下手糞なのはヤですよ」

「上手くなりましたー!」



修兵の言葉にはむっと唇を尖らせて彼から手を離した。手早く刺青を入れる準備をしだす。其処まで言われたらいれない訳にはいかない。彼女の不思議思考にやや疑問を浮かべながらも修兵は大人しくされるがままになる。愛しい女がやってくれるなら何でもいいのだ。
直ぐに準備を整えたが、絵筆で修兵の腕に墨で下絵を書き出す。くすぐったさに修兵はほんの少し眉を寄せる。



「……腕、太くなったね」

「別に太ってないっスよ。先パイこそ太ったんじゃないっスか?」

「さっきから失礼な奴だな!太ってないよ!!修は男っぽくなったって言ってんの」

「そりゃどーも」

「ホントに入れるかんね?」

「好きなんスけど」

「……へ?」



が不安そうな声で訊くので、修兵は苦笑してそう言った。するとの口から一拍遅れて間の抜けた声が漏れる。其れと同時に明らかに間違った方向に筆が滑った。しかしは呆然と修兵を見つめ口をポカンと開けている。そんな間抜けなんだか可愛いんだか分らない顔で見つめられ、修兵はついの唇に自分のを重ねた。



「な、何すっ!?」

「好きなんだって、だから」



唇を離すとの口から驚きの声が漏れ、修兵が囁くように言うとの顔が真っ赤に染まる。最早筆は何を書こうとしているのか分らない絵を修兵の腕に描いていた。から顔を離して、修兵はにやりと笑う。



「俺の事嫌い?」

「そんな訳無いじゃん!」



修兵が訊くので、は思わず全力で否定してしまった。言ってからしまったと口を塞ぐ。其の姿が昔と変わらず可愛くて、修兵はの頬に触れて噛み付くように口付けた。唇を離して至近距離で笑いかけると、は悔しそうに唇を噛んで修兵を睨みかけていた。





「………私が何の為に別れたと思ってんだよ、莫迦修」



彼から顔を逸らして、ぽつりと呟く。其の言葉に修兵が急に真面目になっての顔を見つめた。其の射抜くような視線には小さく息を呑む。
修兵は何時だって、無言で責める。別に其れは責めているわけではないのだろうが、はどうしても悲しくなって仕方が無い。其の視線から逃れる為に顔を逸らして、は呟いた。



「こんなボロイ店の娘じゃ、アンタの足引っ張るでしょ」

「んだよ、其の理屈は」



まぁた訳の分からない理屈を振り回し始めたに修兵は溜息混じりに言った。ボロイ家だろうがボロイ店の店主だろうが、好きになったものはしょうがないし、自分だって流魂街の出なのだから気にする事ないのに。するとはばつが悪そうに眉を寄せて口を開く。



「修はデカクなるよ。きっと上に行く。其の時に私みたいなのが隣りにいたら駄目」

「何が駄目なんだっつの」

「こんな刺青屋なんかじゃなくて、貴族のお姫様とかと一緒になるべきなの」



何故か拳を握って力説するに修兵は溜息をついて項垂れた。一体誰がこの娘にこんな考え方を植え込んだんだろう。しかも漂ってくるのは淋しさでも悲しさでもなく、妙なやる気なのだ。本当に愛があるのか疑いたくなる。



「お前じゃなきゃ駄目なんだって、俺は」



の首に腕を回して、修兵はきつく鎖骨を吸った。紅く浮かんだ印に満足そうに笑んでを見ると複雑な顔をして修兵を見ている。刺青のように永遠に残るわけではないこの印にそっと指を当て、は困ったように笑った。



「じゃあ、もう駄目だからね」

「……何が?」

「私じゃなきゃ駄目だからね」

「お前も俺じゃなきゃ駄目だからな」



見詰め合って微笑んで、どちらとも無く唇を合わせた。数年ぶりに感じる相手の体温は、驚くほどに自分に馴染んだ。まるで初めから其処にあったように安心する体温が隣りにあることが何よりも嬉しくて、強く強く抱きしめた。





「修、好きだよ」

「刺青入れんじゃねぇの?」

「好きな男傷つけんの趣味じゃないもん」



そんな他愛の無い会話を腕の中でして、顔を見合わせて笑った。もう絶対に離れないから。




-fin-

ヒロインは刺青屋さんでした。
最近年上のお姉さんが好きです。
リクエストありがとうございました。
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