「もーやだ!!」



暖かい春の日差しが差し込む教室には心地良い喧騒が響いていて、其の中で彼女は耐えかねたように声を上げた。彼女、の前には教科書と紙、筆が投げ出されていて、其の隣で友人が苦笑を漏らす。



「ほら、もうちょっと頑張ったら休憩しよう?」



机につっぷして頬を膨らましている彼女に言うと、は窓辺の彼に向けていた視線を戻して窺うように彼女を見やった。
もう春で気分が浮かれる時期だと言うのに、学生に春などは存在しないとでも言いたげに試験は存在するのだ。しかも六回生にとってはこの試験は卒業に関わってくる大事なものなのだ。元から仲が良かったこのクラスは、全員で勉強しようと言う事になって集まったのだが、限界はあるらしい。
の頭を撫でてやると、は詰まらなそうに頬を膨らましたまま再び筆を取った。



「……私もう卒業できなくていいよぉ」

「そんな事言ってぇ。檜佐木君と一緒に卒業するんでしょ?」



が漏らした呟きに、彼女は柔らかく微笑んだ。しかしはぷいと顔を背けて再び窓際で寝ている恋人に視線を移す。試験など何もしなくても優秀な成績を取る彼。周りが必死に勉強をしていても、自分は関係ないと寝ている姿に何となく腹が立ってきて、は勢い良く立ち上がった。



「しゅーへー!」



名を呼んだは良いが、目を覚ます気配はなく、クラス中の視線が自分に刺さっただけ。は急に気恥ずかしくなってすとんと腰を落とした。其の姿に彼女は笑みを零す。は諦めたように筆を掴んで詰まらなそうに問題を解き始めた。しかし、中々進むものではなく、の筆の進みは遅い。



「だいたいさ、修兵は勉強教える為に此処にいるんでしょ。何で寝てるの」

「いいじゃない、皆勉強してるようでしてないんだから」

「だってさ、修兵はいいかもしれないけど私ホントに馬鹿だから滑るかもしれないじゃん」



ぐちぐちと言いながら筆を動かすに彼女が宥めるように言うが、は不満そうに口を尖らせるだけ。確かに、教室で皆と勉強、など本当に勉強している訳ではない。だから彼が寝ていても楽しそうに笑っていたりしても構わないのだ。
でも、とは思う。自分は今まで頑張って頑張って彼に追いつこうとしていた。折角追いついた今、また置いていかれそうで怖い。純粋な天才じゃないかもしれない。でも彼が優秀なのは確かな事で、凡庸な自分が追いつけないのは当然の事で。だから頑張ったのに、頑張り足りないと言うのか。なら、これ以上どうすればいいか解からない……。



「……修兵が、追いてっちゃうんだもん」



ぽつりと、隣に居る友人にも聞こえないような声音で呟くと、其の言葉が妙に恐怖心を煽る。自分なんて平凡な、本当に平凡な女なのに何故彼は自分を選んでくれたのだろう。彼にならもっと相応しい人間が居るかもしれないのに。
もしかしたら、このまま置いていかれた時忘れ去られてしまうかもしれない。一時の享楽として存在しているのかもしれないのだ。自分にとって彼は、掛け替えのない存在なのに。
そう思うと怖くて、泣きたくなる。



「……先に行かないでよ」

「何泣いてんだ、バカ



うっすらと眼に涙を溜めて呟いた言葉は自分の胸に重石のように落ちる。瞬間、後ろから呆れた様な聞きなれた低い声が聞こえては慌てて後ろを振り向いた。其処に居たのは声の通り窓際で寝ていたはずの修兵で、今起きたのか不機嫌そうに眼を細めている。そっと目尻に指を滑らされて、は慌てたように顔を逸らした。



「な、泣いてないよっ」

「嘘吐け」



短く息を吐きながら頭を撫でられて、は唇を噛んで彼を見上げた。其の視線に修兵はの額を突いて其の隣に腰を下ろす。きょとんとしているを無視して、頬杖を突いて彼女の顔を覗き込んだ。



「何拗ねてるんだよ」

「拗ねてないよ」



修兵の言葉には口を尖らせて其の視線から逃れるように俯いた。しかし修兵はの頬を掴んで自分のほうに向けさせてじっと見詰める。其の拘束から逃げようとは首を振るが、男の力に敵うわけも無く其の抵抗は無駄なものに終わる。其れでもなんとか視線だけ逸らすと、修兵はぺちんとの額を叩いた。



「そんな不細工な顔して何にもない訳ねぇだろ」

「なっ……」

「言ってみろ」



顔を近づけられ、は口篭った。こんな面倒臭い女なんて思われたくない。でも、この視線から逃げる事は出来ない。言いあぐねてが困ったように額に皺を寄せて彼を見やると、彼は立ち上がって教室を出て行った。戸惑っていると廊下から足音が遠ざかっていく音が聞こえて、は勉強道具を纏めると慌てて彼の後を追った。



「待ってよ、修兵!」

「え、何処行くの!?」

「解かんない!!」



教室を出ようとしたところで声を掛けられたが、は振り返りもせずに答えて教室を出た。
そんなに時間はたっていないのに、もう彼の姿は見えない。足音も聞こえないからは慌ててとりあえず彼が向かった方に走り出した。しかし、少し行った角の所で彼は腕を組んで壁に背を預けて立っていた。を待っていたかのように彼女の姿を見ると無言で歩き出す。は彼に手を伸ばして、靡いた袖を掴んだ。



「修兵!」

「遅ぇよ」



修兵は振り返りもせずに言って、歩き出した。さっきまでの歩調より少し遅い、に合わせた歩調で。は小走りに彼の隣に並び、そっと彼の顔を見上げた。怒っているように眉間に皺を寄せているけど、怒っているんじゃなくて本当は心配してくれているだけだから、嬉しくなる。何となく嬉しくて、は微かに笑みを零した。



「……何だよ?」

「何でもないよ?」



修兵が問うが、は小さく首を振って微笑んだ。そんなを数秒見つめていた修兵だが、眼の前に現れたドアにから其方に視線を逸らした。
ドアを開けると、試験前だからか誰も居ない。誰も居ない屋上の真ん中まで行って腰を下ろすと、修兵はの背に自分の背を合わせて座り込んだ。何も言わない修兵には無言で教科書を開く。



「………何拗ねてたんだよ」

「何でもないよ」

「……あっそ」



ぽつりと問われたが、は小さく首を横に振るだけで、修兵は数秒沈黙した後答えた。さわさわと風が吹き、髪をかき乱す。
教科書を開いていただが、教室でやろうと屋上でやろうと解からないものは解からない。早速解からなくなって、はそっと背後に問いかけた。背後からは既に規則的な息が聞こえてきて、声を掛けるのは忍びなかったりするのだが、返事は意外に早かった。


「……修兵?」

「んだよ」

「寝てた?」

「別に」

「此処、解かんないんだけど」



は遠慮がちに言うと、修兵はだるそうに体の向きを変えての肩から教科書を覗き込んだ。肩に頭を預けて、の腰から腕を伸ばして筆を執る。は一瞬身を竦ませたが、直ぐに筆の動きに集中する。



「……ここでこの公式使うだろ?」

「そうなの?」

「お前は……」



余りにきょとんとしたの答えに、修兵はコイツは本当に授業を聞いていたのかと大きく息を吐いた。瞬間、は肩に掛かった温かい息にびくりと身を竦ませる。修兵は気に留めずに説明し、は大きく頷いた。



「解かったか?」

「うん、さすが修兵」

「お前がバカなだけ」

「もー、そーやってバカバカ言う!」

「本当の事だろが」



修兵は呆れた様に言って、の腰にそっと腕を回した。いきなり抱きつかれは声を上げる。



「ひゃぁ!?」

「何驚いてんだよ」

「だってだって!」



修兵は呟き、其れでも離す気はないのかの背に体を預けたままだ。はむぅと頬を膨らませるが修兵に見えない所か見えていても無視されるのが解かるので、何も言わずには再び教科書に視線を落とした。
背中に感じる太陽と違う温度に多少心臓が暴れるのを感じながらだと、集中できない。文句を言おうか考えていると、背後から声が聞こえた。



「何泣いてたんだ?」

「……何でもないよ」

「何でもない訳ないだろ、バカ



耳元で囁かれて、は小さく身動ぎして拳を握った。彼のこの声が耐えられない。自分がこんな声を出させているのだと思ったら、胸が締め付けられた様に痛んで苦しい。



「………修兵が頭良いから」

「そんな事かよ」

「…違う、けど……」

「じゃあ何だよ」

「…………私なんかでいいのかなって」

「は?」

「私なんかよりもっと可愛い子とか綺麗な子とか一杯いるし、私なんかでいいのかなって……」



拗ねたように言うに、修兵は大きく息を吐き出して彼女に寄りかかった。



「莫迦」

「え」

「莫迦なトコとか、煩いところとか、我侭なトコとか、お前が良いから。っつーかお前じゃなきゃ一緒に居ねぇよ」

「……ほんと?」

「本当だから、何時までも泣いてんな」

「泣いてなんかっ」



はふるふると顔を振るがその頬にはくっきりと涙の後がついていて、修兵は微かに笑みを漏らすとそっとを離して腰を浮かした。彼女の顎を上げるようにして頭を引き寄せて上から口付ける。上唇に噛み付くように唇を押し付けると、は慌てて修兵の首に腕を回した。しかし直ぐに唇を離し、を膝の上に抱き上げる。



「……修兵さん、試験前ですよ?」

「勉強より社会勉強」

「そんな事より試験勉強!」

「……わーったよ」



何をされるか悟り、触れられる前に言ったに修兵は小さく舌打ちしてを足の間に納めたまま彼女の背に寄りかかった。は口を尖らせたがそれ以上は何も言わずに、教科書に視線を落とす。其の頭を修兵の大きな手がくしゃりと撫でた。




−fin−

檜佐木夢と言うことで、テスト後にテスト前を書くという酷い事をして見ました。
こんな物でよろしければお持ち帰りください。感想など頂ければ奇声を上げながら踊りだします。

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