「修兵なんて大っ嫌い!!」

「じゃあ出てくなり何なり勝手にしろ!」



初めはほんの些細な言い争いだった。それも酒に酔った上の。
酔いで熱っぽい瞳で修兵を見つめ、は吐き出すように叫んだ。其の言葉を半眼で受け止め、修兵は杯を机に叩きつける。中に残っていた酒が、ほんの少し机に跳んだ。泣き出すわけでもなく唇を噛んだに呆れた溜息を吐き出して、修兵は湯殿に向かった。今日は、悪酔いしそうだ。










風呂で酔いを醒まして、修兵はいつものように布団に潜り込んだ。先ほど泣き叫んだ恋人は片付けもしていないで彼の後に風呂に入っているのだろう。別に気にしてやる事もないだろうと思って、修兵がの布団に背を向けて眼を閉じると、背後での気配がした。



「……しゅうへえ」

「………」



まだ酔いが醒めていないのか、若干呂律が回っていない。瞼が下がりそうで、意識はあるのに声を上げられないで修兵は意識だけで返事したが、当然そんなものはに聞こえるわけが無い。は小さく息を吐いて、修兵の隣りから自分の布団を離した。
其の気配を感じながら、修兵は簡単に眠りの淵に落ちた。背後で、の動いた気配はしていた。










深夜、ふと眼が覚めて修兵は眼を覚ました。さっき呑み過ぎたのだろうか無性に喉が乾いている。本当は布団から身を起こすのもだるいのだが、喉が渇いてしょうがない。諦めの息を吐いて修兵は体を起こした。身を切るような冷たい外気が一気に半覚醒だった意識を覚醒に持っていく。
適当に脱ぎ捨てた羽織を手繰り寄せて、修兵は其れを羽織って台所に向かった。机の上には自分との分の杯が残ったままになっている。片付けもしていないのかと嘆息して、修兵は一杯水を飲んだ。冷たい水が体の中を通るのを感じて眉を寄せ、コップを置いて布団に戻る。すっかり体が冷えてしまった。



「ったく、片付けくらいしろよ」



聞こえないかもしれないが小さな声で呟いて、修兵は布団に潜り込んだ。さっきのぬくもりが残っていて心地よい。いつもなら寒いからといってがすぐに潜り込んできて夜中に自分が寒い布団に押し出されるのだが、今日はそんな事がない。それがほんの少し淋しく思うけれど。



「……?」



そんな事を思って布団から顔を出してを窺って、漸くの布団の異変に気づいた。確かに布団が膨れてはいるが、それは抜け出したように頼りないものだった。しかも、呼吸に合わせて上下するはずの布団は動かない。
小さく名前を呼ぶが答えは返ってこず、修兵は口の端を微かに引きつらせた。酔った勢いで叫んだ自分の台詞が不意に浮かんでくる。



『出てくなり何なり勝手にしろ!』



酒に酔った上の台詞だった。このくらいいつも言っていたし、だって何時だってどうでもいい事で文句を言って如何でもいい事を泣き叫んで一晩寝たら忘れてケロッとして笑っている。特に酒が入った翌日だと、頭が痛いと顔をしかめながら甘えてきさえするのに。しかし今、の姿は此処にない。



「おい、



トイレか、風呂か。その辺に居てほしいと願ってやや声を荒げて、しかし声は静まり返った家に響くだけだった。の気配は何処にもない。
潜り込んだ自分の布団から出て、修兵はの布団に体を滑り込ませた。いつもは直ぐ隣にある布団が今日は少しだけ遠くて、それはの無言の抵抗なんじゃないかという気になってくる。探るように腕をもぐらせるとが、の体どころか残ったぬくもりすらなかった。




「……何処行ったんだよ」



不安になった声が、自分の耳をついた。何時だって自分のことを好きだといってくれた女が、何も言わずに自分の前から消えた。自分は何も言ってやれなかったのに、総て分っていると思って何も言わなかったのに、居なくなった。
彼女が隣りにいないことに急に不安になって、修兵は体を起こすと部屋に明かりを灯した。月明かりだけだった薄暗い部屋を優しい光が照らしだす。の布団の上に彼女の寝巻きが脱ぎ捨ててあり、更に視線をめぐらせれば、彼女の衣装棚から何かを抜き出したように着物の裾がはみ出していた。




「……マジ……?」



まさか本当に出て行ったんじゃないかという想像が胸を過ぎって、修兵は頬を引きつらせて小さく呟いた。
今までどんな事があっても出て行くことなんて無かったのに。家出した事はあっても、こんなにあっさり消えた事なんてなかった。だからが今何を考えているか分らないけれど、修兵は乱暴に羽織を掴むと家を飛び出す。



「つか、何処行ったんだ、あいつ」



玄関まで飛び出して、が何処に行ったか全く検討がつかず足を止めた。空には星がキラキラ輝いているが修兵にそんなものを見上げる余裕は無くて、真っ白な息を吐いてしきりに左右を見回している。



「……寒」



無意識に呟いて、落ち着くように深呼吸を一つする。寒いのが嫌だと言っている恋人はこの寒い中何処に行ったのだろう。一人で泣いていなければいいが。とりあえずの家出場所である技術開発局にもで行こうとしたところで、人の足音が聞こえた。



「あれ。修兵、何してんの?」



背後から聞こえた恋人の不思議そうな声に修兵は驚いて振り返り、眼を見張った。拗ねて出て行ったと思っていたが修兵の姿にきょとんと首を傾げている。安堵したように深く息を吐き出して、修兵はもたれかかる様にを抱きしめた。行き成り抱きしめられては眼を白黒させる。



「え、修兵?」

「心配させんな、莫迦」



言うだけ言って、が何も言えないようにきつく抱きしめる。苦しいよ、とが修兵の背を叩くが修兵は其れを無視してを抱きしめたまま動かず、ふっと息を吐くとそっと修兵の背に腕を回して修兵よりも弱い力で恋人を抱きしめた。



「……ごめんね」

「悪ぃ。お前が居ないと俺駄目みてぇ」



耳元に囁くように掠れた声で伝えると、の体温が上がるのが分かる。の顔に掛かる髪を掻き揚げて、修兵は微笑んでの唇に自分のを押し当てた。しっとりと唇を合わせ、いつものように貪る訳でもなく其のまま離した。いつも舌を入れたりすると顔を赤くして「何するの!?」とか言うが、今日は不思議そうに小首を傾げた。



「……修兵?」

「んーだよ」



今日は体が欲しいわけじゃない。そう思って口付けたのでややばつが悪く、修兵がぶっきら棒に言ってを抱きしめていた腕を解いた。するとは何でもないと小さく首を振って修兵の腕に絡みつく。



「大好き」



照れたようにが笑うから、修兵は苦笑しての頭をクシャリと撫でた手触りの良い髪に眼を細め、次いで薄物だけのの姿に眉を寄せた。この糞寒いのに寒くないのだろうか。息は驚くほどに白いのに。
はぁ、と呆れたように息を吐くと、はむっと心外そうに唇を尖らせた。



「何?」

「この糞寒いのに風邪引くぞ」



ふわりと自分が羽織っていた羽織をの肩からかけてやると、は驚いたように修兵を見つめた。きょとんと不思議そうに見つめてくる眼は、修兵と眼が合うと嬉しそうに笑った。



「修兵も寒いでしょ」

「そう思うんなら早く中入んぞ」

「……星がね」



わざとらしく腕を抱えて擦ると、は苦笑して空を見上げた。其の空には冬特有の空気が満ちていて、夏の其れよりも星が輝いている。修兵の方に体を寄せて、は笑った。に倣って修兵も空を見上げる。自分の白い息が良く見えた。



「星がね、綺麗だったからお散歩に行ったの」

「行くんなら書置きでも何でも残してけ。心臓に悪い」

「心配した?」



ぱっとが顔を輝かせて腕を引いて見つめてくるから、修兵は頷こうと思っていたのが急に恥ずかしくなって「別に」といおうとしていた口を閉じた。から視線を逸らして、ぽつりと呟く。



「しねぇ訳ねぇだろ」



さっき後悔したばかりだから、ちゃんと言葉に出す。するとは嬉しそうに笑った。其の笑みが可愛らしくて愛おしくて、修兵はの腕を引いてさっさと家に上がった。すっかり冷えた体のまま布団に潜り込む。



「一緒に寝るか?」

「うん」



布団の片側を上げて問うと、はニッコリ笑って自分の布団を修兵の布団とくっつけて修兵の隣りに潜り込んだ。きっと数時間後には修兵が冷たいの布団に追いやられるのだろうが、今日はそれでも良いかと思った。それほど彼女が自分の中で大切なのだと気づいた。





-fin-

星が綺麗だからといってフラフラ散歩に行ったわけではなく、酔い醒ましもかねて。
皆様マネをしても修兵さんは来てくれません(知ってます)。
リクエストありがとうございました。
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