ぼうっと天井を見ながら、ある女の事を思い出していた。彼女がいなくなってもう十年も経っただろうに未だに忘れられない恋人の姿は、瞼の裏に張り付いたようにはっきりとしている。
俺は隣りで静かに眠っている今の恋人の髪を掻き揚げて、微かに眼を細めた。かつての恋人は今となりにる女よりももっと綺麗だった事を思い出す。我ながら未練がましいと思うが、忘れられないのだ。今の恋人よりも背が高くて綺麗で気が強くて、でも何処か目が離せないあの女は今何処にいるのだろう。俺のことを忘れてくれているだろうか。



「……ん……」

「あぁ、眼が覚めたか?」



隣りで小さく身じろいで、髪の長い女がゆっくりと眼を開けた。俺の顔を見て照れ臭そうに笑う。こういう時、あの女なら何の羞恥もなくしていただろうと思った。
彼女は照れたのを隠すようにもぞもぞと布団の中で動いて身支度を済ませて布団から出た。ほつれている髪を手で梳かしているので、俺は体を起こして彼女の髪に手を伸ばす。そう言えば、あの女は人に髪を触られるのを嫌がって短くしていた。



「浮竹隊長はご病気で入院なされているのに、昼間から……」

「其れを言うな。お前だって良かっただろう?」



可愛らしく頬を膨らませて髪を梳かす彼女に苦笑して、俺は後ろからまた抱きしめた。珍しい訳でもなく血を吐いて入院したのは昨日の事だ。今日になって心配そうに怒りながら見舞いに来た四番隊の彼女を押し倒したのは一時間ほど前の事で、その時も昔の女は俺が倒れたら莫迦にしたように笑っていた事を思い出した。
彼女を抱きしめて、せっかく身支度をしたのにまた肌蹴させた。付き合い始めの羞恥が可愛らしいけれど、やはり俺には馴染まない。



「やだ、隊長……っ」

「卯ノ花隊長には俺から言っておくから」



嫌だと頬を赤らめる彼女を抱きしめたまま、また布団の上に倒れこむ。昔は拳の一つも飛んできたなと思う。耳元で囁くと、彼女は顔を赤らめながらも小さく頷いて俺の手を握った。こんなちょっとした女らしい仕草が俺の胸に何かを突き刺す。
その時、外が何だか騒がしくなった。一応此処は個室で、余り人が近づかない。特に今は彼女が看病と言う名目で来ているので誰も来る訳がないのだが。外の声が聞こえた時、腕の中の恋人が小さく首を振る。



「隊長!人が……」

「此処には来ないだろう」



いやいやと頭を振って俺の腕の中から逃げ出そうとする彼女を無理矢理押さえつけて、俺は彼女の内股を撫でた。
外からはバタバタと激しい音が、それこそ十一番隊がいるのではないかと思われるほどの音が聞こえる。四番隊員の荻堂の声だろうか、彼に似つかぬ苛立たしそうな叫びにも似た声だ。その声に返す声が、聞きなれた声に聞こえた。一際大きな音が聞こえたかと思うと、何の前触れもなく戸が開き、後ろから荻堂の叫びが聞こえる。



さん!」

「っ!?」



息を飲んだのは誰だったのだろう。
無遠慮に入ってきた女は、泣きそうだった顔を一瞬にして無表情に変えた。俺の腕の力は驚きで無くなって、今まで俺の腕の中にいた女は慌てて着物を掻き合わせた。しかし其れを眼の端で捕らえながら、俺は彼女をかばう事も動く事も出来ないでただ目の前の包帯まみれの女に眼を奪われていた。



「………



無意識のうちに俺の唇から目の前の女の名前が洩れた。十年前に任務の為に俺の前からいなくなった恋人が、今目の前に帰ってきた、その事だけで一杯だった。俺の視線を受け止め、が唇を噛んで一歩後ずさった。



「ゴメンっ!」

「待……っ」



短く吐き出して、は踵を返した。その顔が泣きそうになっていたから、俺は反射的に手を伸ばす。しかし手は届かない。の姿が視界から消えるかと思ったが、その前にの体が膝から崩れ落ちた。俺が飛び出す前に、どこかに潜んでいたらしい荻堂がの体を支えて溜息を吐いた。



「だから動かないでって言ったのに」

「……荻堂」

「隊長、この人預かってくださいよ」



の体を担いで、荻堂が俺の布団の上にを降ろした。今まで身じろぎ一つしないで呼吸すらか細く繰り返していた女は、何も言わないで部屋から駆け出した。その背中を荻堂が溜息を一緒に見送って、俺ににやりと笑いかける。



「あーぁ、女泣かせですね」

「……は……?」

「アバラが折れてるだけです。帰ってくるなり走りだしましたよ」



荒い呼吸で苦しげに眉を寄せて眠ってしまったの髪をそっと掻き揚げた。あの頃から変わっていない短い髪の触り心地がいい。きっと俺が触ったと知ったら怒るだろうけれど、と思ったら苦笑がこみ上げてきた。
俺はをちゃんと布団に寝かせると、荻堂に目配せした。彼は一つ頷くと「見張りで入り口にいますから」と言って部屋を出て行く。彼が出て行ってから、俺は脱ぎ散らかした着物に袖を通した。



、お帰り」



着物を着てからの隣りに潜り込み、そっと彼女の額に唇を落とす。彼女の甘い匂いは昔よりもほんの少し鉄の匂いが混じっていた。昔は、よく怪我をしたと病気の俺と一緒に寝ていたことを思い出す。
本当にが生きていて良かったと思って、大きく息を吐き出した。十年前、任務に赴いたの部隊は全滅だと聞いた。その時は自分も絶望した。でも十年経って、やっと以外のものが見えた。まだまだと比較してばかりだったけれど、漸く彼女がいないことに慣れた。でも、は帰ってきてくれた。



「生きていてくれてよかった、本当に」

「………あのまま死んでればよかったよ」



の傷に障らないようにそっと抱きしめると、小さくの声が聞こえた。先ほどまで俺の腕の中にいた女とは全く違うどこか呆れたような、しかし拗ねたようにも聞こえる声は懐かしいものでしかない。何故だと問う代わりにちゅっと頬に口付けると、は小さく顔を横に振った。



「そうすれば、貴方は倖せになれたでしょう?」

「お前が居ないと幸せになんてなれないに決まってるだろう」



眼を閉じて、悲しくないはずなのに気丈に振舞ってそんな色を一片も見せないの声音に、俺が怖くなった。ぶつけるように吐き出して、の唇に乱暴に噛み付いた。頑なに拒むようにきつく閉じられた唇に舌を這わせて、何度も舐める。そうしている内に熱くなり、うっすらと開いた割れ目に舌をねじ込んで無理矢理口内を犯した。奥にちじこまっている舌を掬って、吸って、苦しくなるほどに彼女を求める。



「……んんっ」



の鼻からくぐもった息が洩れ、苦しげに眉を寄せた。いつもよりも口内が熱い気がするのは熱があるからだろうか。名残惜しくはあるが唇を離すと、俺の気持ちを表すかのように銀糸が伝い、俺は其れを舌で切るとの額に自分の額を合わせた。やはり微熱がある俺よりも熱い。



「愛してた。愛してる」

「………さっきの女の子と一緒になれば幸せになれるでしょう?」

「お前の事を忘れなかったのに、幸せになんてなれるわけないだろう」



何時だってを思い出して、何にだってを投影して幻滅して。そんな風に十年を過ごしたのに、がいなくて幸せになれる訳がないじゃないか。ついさっきだって、と全く違う女とを比較していたのに。
は俺の長い髪を掻き揚げて耳にかけると、悲しそうに微かに眼を細めて視線を逸らした。次いで、魅力的な赤い唇を動かす。



「言ったでしょう?私がいなくなったら私を忘れてって」



死んだら忘れて、幸せになって。
囁いたの声は淋しいほどに俺の背を痺れさせた。お互いが失われる事なんてないと信じていた昔の戯言は、いつの間にか戯言になっていなかった。自分がいなくなった時、忘れてせめて幸せを掴んでほしい。本当は自分以外なんて愛して欲しくないのに、戯れを込めて言って笑いあった。其れが今、言った事を後悔する位に悲しい。



「でもは、此処にいる」

「………」

「俺の隣りにいるだろう?」

「…………うん、そうだね。此処にいる」



と自分の額を合わせたまま笑って見せると、の顔がぐにゃりと歪んで不意に切れ長の眼の端から涙が零れた。いつも強気なの眼から零れる涙は一度流れるととめどなく溢れてきて、は俺の首に腕を回してしがみ付くように俺の胸に顔を埋めた。



「忘れないでいてくれて、ありがとう」

「帰ってきてくれてありがとう」



泣いている筈なのにその声は震えてもいないはっきりと聞こえて、俺はの頭を掻き抱いて自分の胸に押し付けた。もしかしたらは痛いかもしれないが、そんな事を気にしてはいられない。を抱きしめて、短い髪を撫でた。短いのに柔らかい髪が心地良い。



「……髪、触んないで」

「少しくらい良いだろう」

「そんな事言って十四郎はしつこい」



くぐもっての声が聞こえたが、聞いた振りをして短い髪を撫で続けた。が膨れたのが分かったが、その姿さえも愛しく思えての髪に何度も何度も口付ける。するとはくすぐったそうに身を竦ませ、俺は其れすら愛しく感じる。長い間欲しくて欲しくて堪らなかった、失くしてしまったものがやっと帰ってきたことが嬉しくて仕様がなかった。





「何」



「だから何」

「……何でもない」

「ちゃんと帰ってきたよ」

「知ってる」



の名前を彼女が呆れるくらいに呼びながら唇を落としていると、の手がふと俺の額に触れた。その顔が不機嫌に歪んで俺の顔を避けるように手に力を入れてググッと押し返す。一体何がの気に召さなかったのか分からなくて俺が押し返されてなるものかとしていると、は呆れたように眼を細めた。



「熱、高いよ」

が帰ってきたから」

「関係ないでしょ。大人しく寝ろ」



笑いながらを抱きしめると、は怒ったように息を吐き出して俺を寝かせた。俺に触れるの手が心地いいから、俺は大人しく横になる。そのままでの抱きしめて、ちゅっとの耳に唇を落とした。



「どこで怪我したんだ?」

「虚に追われて何度か折って、くっついたと思ったら折れた」

「……気をつけてくれ」

「もう大丈夫だよ」

「当分は一緒に布団の中だな」



今まで離れていたときを埋めたくて、俺はを腕の中に閉じ込めた。忘れかけていた愛しい人の本当の体温が心地よくて、もう二度と離したくない。でもそれは俺もも望んでいる事ではないから出来ないだろうけれど、もう離れたくないと何よりも思った。
離れている事の淋しさと忘却の辛さを知ったから、何度でも同じ言葉を呟こうと思った。きっと俺が死んだら、彼女が幸せになれるように。



「俺が死んでも、独りでいるなよ」





- E N D -

これシリアスじゃないよ甘いだけだよ、なんて言わないでください。
男は未練たらしいらしいです。
リクエストありがとうございました!
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